「詩人の輪」通信 その1   
通信に寄せられた作品等を紹介します。
                      (1〜39号)

詩人の輪」通信 その2 へ

詩人の輪」通信     30号より
 


    醜(しこ)の御楯 
   
       長居 煎


「動的防衛力」ときいて
浮かんだのは「醜の御楯」
一銭五厘で転進させられ
菊紋の銃や馬の方が大事と殴られ
守られたのは何だ。

「醜」とへりくだりながら
「楯」たちが包囲した村には
まるで違うことばを話す農夫たちが住んでいて
そこから奪った綿花や小麦を
運び去ったのは国策会社や将校連。
阿片や金銀も横流しした特務機関や
「もう一度戦果を挙げてから」と地獄をふくらませた
現人神の顔などまともに見ることもかなわない。

飢えと渇きに次々に倒れ
体当たりの自爆が日常になった「楯」たちが
ただ素朴に守りたかった故郷は
やたらに撃ち抜いた銃剣の返り血に染まり

今またはるかな海を越え
「同盟」先の親分の最新鋭の「楯(イージス)」として
わずかな分け前に与っても
親玉のミサイルは子どもや空まで手荒く切り裂いている

(そういや刀を振り回した「楯の会」なんてのもあったなあ)

おい、楯、おまえは矛じゃねえか。
爪も口も血まみれじゃねぇか。
   



「詩人の輪」通信   29号より
 


    朱塗りの杯 
   
       外園 静代


金で縁取られ まんなかに企業の頭文字sが
デザインされた三段重ねの朱塗りの杯
木をくり抜いてつくられていて
手にすると乾いた木肌が和紙のように
かろやかであたたかい

軍需景気に沸く昭和十五年
勤続を祝されて三十五歳の夫の父親がもらっ
たもの
勤続満拾年記念
日本製鉄株式会社
大阪製鉄所
右から左へ これもまた
金文字で 裏に横書きされている

お正月 家族の無病息災
子どもの成長を込めた屠蘇酒をこの杯に注ぎ
六歳の長男をかしらに膝つきあわせた
子どもたち四人ひとり一人に手渡したであろ
 う
親の願い

夫が生まれたとき父親は二十八歳
赤紙がきたときは三十八歳
昭和十八年十一月
日の丸の旗を打ち振っての出征ではなく
職場にとって手痛い人材ということで
秘すように 人々の見送りもなく
身重の母親と四人の子どもで
市電に乗っていくのを見送ったという

翌年 赤ん坊が生まれた
学童疎開で家族ばらばらになるよりも と
暮らしの根のない郷里に引き揚げる が
食べることも儘ならぬ
十歳になった長男は他家に労働力として働き
学ぶこともかなわなぬ日が続く

朱塗りの杯は それ以来使われることはなか
  ったが
父親が働いた労働の証しであり誇りであった
いまも食器棚の奥まったところにあり
戦争は暮らしを破壊する象徴として
七十二年を超えた

「兵役ノ義務ヲ有ス」とした大日本帝国憲法と
「戦をしない」とした日本国憲法が
奥まったところで争っている声が聞こえてくる
朱塗りの杯のまわりからも

       〈『筑紫野』112号(10.2.15)掲載〉




「詩人の輪」通信     28号より


 
   凝 固
    
        中原 道夫

  
眼の前で惨殺された父と母
けれど引き金に指の掛かった銃口のために
涙と悲しみは一瞬のうちに凝固してしまった

少年は言葉の代りに笑みを浮かべた
笑みは神の教えてくれた不戦の武器
突然「やめい!」と大きな声が飛んだ

そして少年は
生きるために生かされるために
自分の父母を殺した殺戮者の手先となった

カラシニコフ自動小銃を手にした少年は
撃って撃って撃ちまくった
――おれは人を殺しているのではない
――ただ狙った的を撃つマシンになっただけだ
ある日大きな爆発があり
岩が崩れ石の欠片が辺り一面に転がった

その夜 少年は
石のすすり泣く声で目が覚めた
石の中に凝固されていた僅かな水が
涙となって疼きだしたのだ

少年は自分の中で融けていく何かを感じた
それは凝固されていた少年の悲しみであった

長い間閉じ込められていた石の涙と
離散していった石たちの悲しみ
それから数カ月経ったある日
いまだ砲弾飛び交う廃墟の中で
経文を唱えつづけている若い僧侶の姿を
見た人がいるという



  「詩人の輪」通信             27号より

 


    密 約
    
     中 正敏

  
   夢のなかで死んだものは首を垂れ
    口をつぐんで ものを言わない
    夢だから死人がものを言ったって
    新しい希望があって愉快じゃないか

    封じられた非核三原則の抜け道が交わされている
    核戦艦の一時寄港は核の持ち込みと認めないと
    一片の紙片にしるされた密約が
    封筒に入れられて外務次官が引きついだ 
   
   情報公開法を恐れた官僚の背信が
    アメリカの公文書で密約があるのを認めていても
    ないものはないと ウソをついて人をだます

    ナカゾネ元掃除大臣までが箒をもって
    密約があったか無かったか調べる必要ないと
    口をつぐんでまだ生きていたのか 悪夢

 
 
  「詩人の輪」通信      26号より

    
    プラハ広場での誓い
 
              小森 香子


   長い夜が続く冬が明け  カシタンの木は芽ぶき
    ブルタバの河面が  きらめき はじめると
    菓子屋の店先に並ぶ  チョコレートの 兎と卵
    広場にも 通りにも スカーフと民族衣装の 女達が
    手づくりの絵卵の 長いリボンの束を 手にして
    
    プラハのイースター  その陽ざしのなかで
    広場で演説したのは  オバマ米大統領だった
    世界で核兵器を使用した唯一の核保有国として
    アメリカは行動への道義的責任がある と
    核兵器のない世界へ 具体的措置をとる と

    世界遺産の古い街に 百の塔の鐘が ひびき
    市庁広場のフスの像は 民衆に囲まれ青銅色に輝く
    十二使徒がめぐり歩く古い時計塔の前には
    世界中から旅人が集まり 時鐘のたびに人だかり
    そこで演説したことは 世界に決意示すこと
    
    イースターに ふさわしい言葉だったのだから
    決して裏ぎらないでほしい 世界の希望を
    やがて咲くカシタンの花は  白い燈台
    広島の夾竹桃のように  灯をともしつづける
    輝こう共に  核兵器廃絶と九条の誓いを かかげ 
     



  「詩人の輪」通信           25号より



   赤信号

        甲田 四郎


   赤信号みんなで渡ればこわくないと昔誰かが言ったが、
  今世界大暴落、みんなで損すりゃ笑っちゃうという。私も
   笑えないけど笑っちゃうけど笑えない。
    年末から年始にかけての数百人の所謂派遣村に心が 
   痛んだ。力を尽くすのは民間ボランティアと一部行政、
   一部小企業で、大企業は非正規労働者達をモノのごとく
   簡単に切っておいてナニもしない。どころか、派遣制度禁
   止乃至強化は企業が従業員を柔軟に増減するのを困難
   にし、国際競争力を固め、生産拠点を海外に移す企業を
   多くしかえって雇用を悪化させるという。
    今非正規労働者の数は正規労働者3に対して1の割合
   1700万人だという。苛酷な労働条件・低賃金のためワー
  キングプアが大量に作られた。07年9月28日朝日新聞に
  よると年収200万以下が1000万人を超えたという。
   一方税制を見ると、08年4月16日同夕刊では、申告所 
  得5千万以上の所得税負担率が平均21・8%3〜5千万
  が22・7%証券優遇税制(05年度から07年度までだった 
  のを1年延長した、3月自民公明の多数で成立)が少数超
  富裕層が占めている。金持ち優遇税制と非正規労働者の
  両方(外にも要因があるかもしれないが)のため格差が大 
  きく開いた。中流(自分は中流だと思う階層)は没落して結 
  果国内の購買力が落ちたのだ。購買力を上げるには中流
  の復活が必要ではないか。そのためには雇用の確保安定
  が必要ではないか。
   今金持ちが国際競争だと言えばいくらでも貧乏人を騙せ
  る。金持ちはなにをしても金が増え、額に汗する貧乏人は
  貧乏になるばかり。
   この大不況、国外に敵を見つけナショナリズムを煽り不満
  を逸らそうとする者がいても、ワーキングプアの敵が国内 
  の大企業・自動車会社等であるのは、明白である。


    「詩人の輪」通信            21号より


       子歳戯れ唄
            白鼠
        
       中 正敏


        
     冬日が十日戎の宝船に差している
     祠の主は 白鼠
     鯛をつる戎は笹に埋もれて死んだ
     肩に袋をささげた大黒はどこへ行ったか

     白鼠がウロウロ祠の鏡餅を噛む
     陸か沖洲か居座る影はどんな獣か
     闇と死の仕掛人

     大判小判裏も表も不明だザックザク
     棒や玉のおみくじ、お代を払わぬ女が嗤う

     くわばらくわばら井戸の底に陥ち
     壁に囲まれ 無念がオリをでられない
     思案の末ゲロを吐く

      深い霞が堰きとめクマもヌエも姿が見えぬ
     高値三倍ライスの油(*1)を獣(2)が無性に呑みこむ
     灯もない闇に白鼠が潜んでいる

     *(1)バーレーンの米シュプロン製油所の元役員がライス。
           油代227億円。
        (2)インド洋マダカスカル島に棲息する夜行性の眼光鋭い狐猿。


  「詩人の輪」通信      20号より


       写真集・収容所

              中村 洋子


       シベリアの捕虜収容所に五十六万人とも
      いや 七十万人とも数えられる日本人
      その一人ひとりに親がいて
      妻子や兄弟をもつ抑留者もいる
      出征中の父は初めての子の誕生を知っていたが
      何年も 会えなかった

      門柱にスターリンとレーニンの写真
      横に日本語のスローガン
      ・  ・・闘争なくして民主主義なし
      そして国旗
      遠目には遊園地の入り口にもみえる
      そこへ自分の意志で入った者はいない

      宿舎の風景 食事の場景
      作業に出るための集合
      手づくりの作業隊の旗をたてて

      その顔 一人ひとりの顔に目をこらす
      写真を撮れない処にいたかもしれない
      小柄な真がねの男をさがす
      めがねなしでは何も見えない父

      帰還した父と十三年を一つ家にいて
      少女期から思春期へと濃い時を
      じゅうぶんに向き合わなかった
      いまごろ写真集の頁を操る
      父の言えないままのこと
      言いたかったことを押しはかる


「詩人の輪」通信        18号より


      私の原点

         佐相 憲一


   10年ほど前だ。見慣れたピンク色と違う朱色のつづ
   じ鮮やかな街で石造りのソウル駅を前にした私は幼い日
   の横浜駅東口を思い出していた。再開発前の駅舎だ。裏
   通りの埃とご飯とこどもたちの情景にハマの下町の遠い 
   記憶が蘇った。九条の心で一人歩き、チハチョル(地下 
   鉄)で西大門の侵略日本軍監獄跡へ行く。誠実なコリア 
   青年と目と目の会話をする。残虐な真実を見つめながら、
   横浜で関東大震災朝鮮人等大虐殺現場をフィールドワー
   クした時の熱い心が蘇る。韓国の食堂のオモニたちはそ
   んな日本人青年の私に優しかった。
    1970年代はじめ、チンチン電車が走る横浜で両親は 
   離婚した。父は母と私を殴った。私は母と父が愛しあうの
   を見たことがないできちゃった婚の子である。苗字が変わ
   ったといじめられた。仲良しの子がけんかになると切り札
   のように親から聞いた陰口で私を傷つける。どんなに大 
   人社会を呪ったことだろう。ある日、決定的な事件が起こ
   った。動物や昆虫が大好きな私への極刑として、二人組 
   が目の前で私の一番の友だちだったカエルを殺害したの
   である。叩きつけられて無言の生きもの。グチャグチャの
   内臓。私は泣いた。泣いても命はかえられない。他動物 
   からヒトを見ることと暴力反対が身についた。原点だ。
    自分の命も危機を体験した。まだ両親といっしょの頃、
   突然メッケル憩室という奇病にかかった私は病院をたらい
   回しにされ、腹の激痛に耐えた。間一髪、誤謬による切開
   後の緊急対応で助かった。あと30分で爆発していたそう
   である。私は一度死んだのだ。あの時の感覚、あれは空
   爆イラク少年の感覚。虐殺現場の南京少女の感覚ときっ
   と同じだろう。死ぬことがどんなものか、それは地球共通 
   のかなしみである。体が九条を欲しているのだ。
    本当の絶望を知ると、逆に希望が湧き上がる。その後、
   私にはたくさんの友だちができた。武装で閉じこもらなか 
   ったからだ。愛を嘲笑しなかったからだ。つらい時は地球
   女史が海や野の豊かさで心を育んでくれた。私の詩はそ
   ういうところから出ている。
    「九条の会・詩人の輪」にまた素晴らしい方々が参加
   してくれた。世論調査も九条支持が増えている。未来
   志向なら世界友好先駆的九条。これまでのこの人生が
   そう言っている。



詩人の輪」通信 17号より



         名札

              青木 はるみ


  全身麻酔の手術から覚めた時
   命拾いしたという実感で震えた
   手術に臨む直前
   手首に私の名前を書いた固いテープが
   カチリ と音を立てホッチキスで止められた
   私という固有の命と他者の命が
   まちがえられることのないように―

   カチリ その瞬間
   国民学校の生徒だった私の服に
   縫い付けてあった名札が目に浮かんだ
   子ども心にも空襲では
   命が量として消滅することを知っていた
   多くの犠牲と敗戦とそして憲法九条に守られ
   私という固有の命が
   自分の事情で死に直面して初めて
   命の重みが理解されたのである

   私は震えている 高熱によってではない
   腹部も深いところを刺し続ける錘のような
   痛みのせいでもない



「詩人の輪」通信 NO16号より



  私を育ててくれたもの
  
           杉谷 昭人


   机に向かってふとカレンダーに目をやると、今日
   は2月26日、近代日本史上最大のク−デタ、2・
   26事件の起こった日である。
   もちろん昭和11年(1936)2月には1歳になっ
   たばかりの私だから、リアルタイムの記憶などあ
   るはずもない。
    ただ私の父は、旧制中学校で英語を教えてい
   たのだが、戦時中でも小学校の私に対して2月
   には2・26事件のことを、7月になれば盧溝橋事
   件のことを語って聞かせるようなそんな父であった。
   とくに反戦意識があったとも思わないが、淡々と事
   件のあらましをたどっていくのは、
   時には夕食時であり、時には日曜日の午後だっ
   たりした。戦後、私が中学生、高校生になっても
   同じだった。
    その父が世を去ってすでに30年になるのだが、
   父が語ってくれた話のあれこれが、最近ひどくな
   つかしく思われてならない。母の実家の村が貧し
   かったこと、叔父(父の弟)の仕事先がなく外地に
   出稼ぎに行かねばならなかったこと、教え子たち
   が戦死したこと等々である。
    ここまで書いてきたところで、最高裁が君が代
   伴奏命令は合憲との判断を下したとのニュース
   が飛びこんできた。教育基本法の後ろ向きの改正
   につづいて、父と同じく教育の場にあった者として
   は、腹立たしい思いのつのる昨今である。そして
   安倍首相の憲法9条改正への執念と、時代の風
   潮はなんと戦前に似てきたことか。
    父のあの頃の思いを確かめる術はもはやないが、
   私を一人前育ててくれたのが父と母であるように、
   私たちの世代にとって、人間の生きる姿勢を教え
   てくれたのは疑いもなく憲法9条である。9条は私
   にとってまるで背骨のようなものだ。否、背骨その
   ものだ。
    自分を育ててくれたものを裏切ることはできない。
   そう思えば、私たちは他人にもっとやさしく接する
   こともでき、戦うべきものの正体もよりはっきり見え
   てくるかもしれない。



「詩人の輪」通信 NO13より




  「詩人の輪」の役立ち方

              浅井 薫

 
    自分の住んでいる地域で、有権者の過半数から
  「憲法を改悪しないで!」との意思表明をしてもらう署名や、
  戦争・人生体験を語り憲法の学習をする「戦争はいやだ!
  平和と憲法を考える集い」、そのためのビラの全戸配布
  (千五百世帯)、あるいは他地域への講師等々全国的には
  五千を超えたと言われる「九条の会」の活動に励まされな 
  がら、重い腰をあげてのわたしの活動です。
   地域の人たちとは「なかなか思ったとおりにいかない   
  ね!」「玄関のチャイムを鳴らしただけで、“お断りします“
  ってくるもんね」と話し合いながら、それでも署名は二百五 
  十を数えるようになりました。なかには、「ビラの費用に」と、
  毎月千円のカンパを届けてくれる人も出てきました。
   「詩人の輪」の呼びかけ人の一人として、例えば名古屋
  周辺に住む詩人たちへ呼びかけて集いを開くなどの、詩に
  かかわっての動きをと考えてはいるのですが、今はそこま 
  で手が回りません。
   先日も隣の地域の人から「九条の会」をつくりたいから講
  師に」との依頼がありました。「浅井さんの肩書きは、愛知
  文化団体連絡会の代表委員はしていますが、それでは
  堅苦しいですね。“「九条の会」アピールに賛同する詩人の
  輪“の呼びかけ人になっていますのでそれではどうでしょう
  か」。ということで、このながい肩書きでビラがまかれ、集い
  では紹介をされました。「詩人の輪」は、こんな役立ち方も
  あるのです。
   「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」「一篇の詩
  が国家を動かすこともある」
   困難にぶっかり気が滅入ったとき、このことばを思い出し
  ては背筋を伸ばして立ち上がっています。



「詩人の輪」通信NO12より



  若者を再び戦場に送るな

            野田 寿子


    私が戦後、教師だった頃、教師たちのスローガンは
   「子供達を再び戦場に送るな」であった。
    ところで先日詩を書いている知りあいの教師に「今も
   頑張っていますか?」と聞くと、「私の学校の40人の教
   師の中で、組合員はたった4人で力にならないのです。
   という答。
    私は唖然としてそのことを夫に話すと、「そうだろうね。
   先日デモに出かけたら、゛日教組゛の旗が見えるので行
   ってみたところ、年寄りばかりなので尋ねてみると(私た
   ちはOBなのです。若い人は居ません)という答え。驚い 
   てしまったよ」という。
    そこで、詩を書いている知人の教師に「組合員は何を
   しているの?と訊いてみたら、(私達に組合執行部から
   指示があるのは、選挙の時だけなんですよ)」という話。
    私はゾッとして、反戦の志を持つ教師の勢力は、もう
   そこまで後退したのかと思った。
    夫は昔シベリアで経験した死と背中合わせの日々が
   青年達に再び襲ってくることを、心から心配している。
   この思いは彼がただ一人抱いているのではなく、日本
   の社会が再び戦前の息苦しかった時代への曲がり角
   にさしかかっていることを示してもいる。
    あの暗い時代とその後の日本の苦しみを知る者は誰
   でも゛これは急を要する。黙っていてはいけない゛という
   思いに駆られるのだ。
    このような時期にに、福岡の「九条の会・詩人の輪」の
   集会が開かれることになった。
    詩とほとんど関係のない多数の市民の方々にも広く
   呼びかけて、゛憲法九条を守り、平和を願う国民として
   共に手を携えて行きたい゛と希っている。再びあの戦争
   の時代をよみがえらせぬために・・・。
    



  「詩人の輪」通信 11号より



  法律三分人間七分
          
          有馬 敲 


     先日、ある詩の雑誌で次のような文章に出会った。
       「戦争も平和も、ともにそれぞれの国民、民族が過酷な代償と
      引き換えに獲得するものであって、言葉の上の問題ではないの
      だと言うことを私たちは忘れているのではないだろうか。憲法第
      九条も結構だ。だがそこには民族の血と存亡とを賭けた思いが
      果たして込められているのだろうか。私たちの唱える平和は果た
      して彼らの求めている平和と同じものだろうか」   
       筆者は関西在住で、私学の名誉教授の肩書きをもつ英文学者
      である。この文章は海外の小さな会議に参加した感想文のなか
      で読んだ。このひとは以前より「詩人の輪」に批判的で、入会もし
      ていない。詩、文学にかかわるひとはそれぞれの美学を持ち、
      その考えもそれぞれ異なる。したがってだれがなにをどのように
      主張しても自由だが。しかし、ここでははっきりしておきたいのは、
      憲法第九条の問題は、たんなる「言葉の上の問題」ではないと
      いうことだ。
       すくなくとも私は、15年戦争がはじまった1931年に生まれ、
      その後、戦争の地獄を体験した被害者のひとりである。
      年少のため戦場こそ行かなかったが、「銃後」と呼ばれた国内で、
      勤労動員、軍事訓練、食糧不足など、どん底の生活を強いられた。
       戦後の反戦運動や安保条約反対闘争も、軽々に「言葉の上問
      題」で片づけられないはずだ。
       良い意味でも悪い意味でも、この世は所詮、法律三分人間七分
      の社会である。「詩人の輪」が身内のおつきあい関係や浪花節の
      義理人情の世界にとどまることなく、人間相互の信頼の上に立って、
      憲法九条の戦争放棄の精神を、無関心や敬遠気味のひとたちにも
      呼びかけていく必要がある。昨今の教育基本法や国民投票法案の
      動きについても、人間七分の重みを忘れてはならないと思う。
                                   (06・5.2)
 
     
 「詩人の輪」通信9号より

  
   
          沖縄で女性九条の会
            
             芝 憲子


      沖縄では早くも桜が咲いています。濃いピンク色で、他府県の、
     白に近い桜のように、ひらひらとはかなく消える様子ではなく、しっ
     かりと咲いています。先日市長選のあった名護や、本部が桜の名
     所ですが、那覇でも、所々で見られ、沖縄らしい風景をつくっています。
      名護市長選は残念な結果でしたが、女性がよく動き、元気でした。
     そんな沖縄で、新しく、「沖縄・女性九条の会」が発足します。昨年
     から、準備会がもたれ、2月14日に、「てぃるる」(沖縄女性総合セン
     ター)で、発足のつどい、が開かれます。
      この会の事務局長には、新進弁護士の上原智子さんがあたって
     おられます。22人の呼びかけ人には、1フィート運動事務局長の
     中村文子さん、役者の北島角子さん、弁護士の真境名光さん、キリ
     スト教短大の原喜美さんらがおられます。詩の関係では、詩人の
     佐々木薫さん、芝、作家で詩も書く河合民子さん、また大学で憲法を
     教えている真貴志美絵さんも、詩を書いていることがわかりました。
      14日のつどいでは、「憲法って何だろう?」「憲法をめぐる今の動き」
     という話、フリートークのほか、北島角子さんによる、「うちなーぐちで
     語る九条」が予定されています。
      会の発足後は、学習会や、本をつくる計画などもあります。
      沖縄は、復帰運動も、「憲法のもとへ帰ろう」という意味が強く、
     他府県よりも一層、憲法意識の高い地です。「九条の会」を受けて、
     すでに「ネットワーク九条の会」がつくられ、活動中ですが、さらに以前
     から、「沖縄県憲法普及協議会」があり、毎年、憲法記念日に、2千人
     規模の講演会を催し続けて、40回を数えました。女性九条の会も、
     そのような伝統と必要性から、様々な女性の力を集めて、動こうと
     しています。
    


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