通信 1~20号より
通信 21~40号より
通信 41~47号より
通信 第48号より
詩人の輪通信 第49号より 2018年10月3日発行



林 新次

恒平よ!    


島国で生を受け
大陸で育った
恒平よ!
日本国憲法の精神をその名に体現し
両国の血を引き継ぎ育った
まさに恒久平和を
その名に刻した
恒平よ!
君は両国の
全く相反する精神を
引継ぎ苦悩することだろう
だけど君は同時に相反する人々の
気持ちを理解することができるに違いない
今、まさに憲法の精神が揺るがんとするこの時を
君の名前で訴えておくれ
恒平よ!



佐相 憲一


補償の森 Ⅰ


夜明けの川にアオサギが立っている。灰青の体が赤紫の光線に照らされる。遠くの山を見ているような、近くの獲物を見ているような、どこも見ていないような、すべてを見透かしているような……。孤高と名づけたくはない、達観とも呼びたくない、ありのまま。はばたいて樹のてっぺんにアオサギが降りる。

ツバメの群れが駅の上空を旋回する。いや、群れではない、協力関係か。降りてくると一羽一羽、個別の動きだ。人間を好むなんて珍しい。好きというより合理的な共存関係の選択か。ヒトの住まいのつくりが彼らにも便利らしいし、ヒトも燕尾服を着て鳥の真似をする。

オナガドリが野原の木から木へ飛び移る。我が家は地球だと彼らが言ってもおかしくはないだろう。灰青の身は着物のように伸びているが、舞台衣装を着飾っているわけではなくそれが裸。よく知られた濁った鳴き声は警戒音であり、パートナーとの愛の声は全く違うらしい。ギュイギュイギーとチュルチュルピーの間には、生きるということの何かがあるだろう。

夢は醒めるものではなく深めるもの。そうおしえてくれたのは自然界だった。

意識的現実が無理をしていると無意識の深遠な計らいが夢を通じて補償的な象徴の物語を送ってくる。個人的なものと人類的なもの。個別の差異と集合的な内的蓄積。計り知れない広大な森が、ヒトひとりの中にある。

木々は連なっているのに一本一本は離れている。その寂しさは同時に愛の源でもあり、自由というものが自然界に備わっているとすれば、時空の根源そのものが脈打つ命の流れを思い出させてくれるからかもしれない。川は山にも海にもつながっているから、そして朝焼けは夕焼けと夕焼けの間にあって星空が準備するものだから、わいてくるものを勇気と名づけてもいいだろう。木は黙っているのではなく、常に呼吸している。その息が風となって森の緑を揺らす。

〈ススメ、ススメ、兵隊ススメ〉と学問のススメのように促された時代があった。とにかく進んだ。侵略し、打ちこわし、焼き尽くし、殺しまくり、殺されてなお名誉だと祀り上げられ、旗を振り、群れて、そんな時代は短くはなかった。ススメよりはスズメの方がよかったというのは駄洒落ではない。野に鳴くスズメの声にふるさとを思い、歴史を改造することが偽造に過ぎないと気づいても強制される高揚と陶酔を止めることもできず、ひそかに胸にひろがったもの。時代の要請する旗印をつけた仮面の奥には、もはや武器を持たないインターナショナルな地球自然への回帰願望が波打っていたかもしれない。現代の引きこもりの人のように、野山に心閉ざしてこもる欲求が切実だった。最新の心理学に照らすならば、反戦や非戦だけが好戦の対極ではない。厭戦の兆候としての孤愁や懐古、自然回帰などの心象は、時代の意識または無意識が人類の狂気を爆発させていたその時に、小さな個の生の偽らざる悲鳴を通じたもうひとつの無意識あるいは意識の表れだったのだ。それは、国家とか神とか民族とか集団とか、束になって突っ走るものに同化しきれない、心の補償だった。怪我をしたスズメのヒナを見つけて守る心が、ススメ、ススメの合唱をすることの悲劇。引き裂かれたものを抱えて、せめて自らを正当化するために、優しいはずの自然風景を国家の匂いのするものに捻じ曲げてお墨付きをもらっても、それは芸術とはならなかった。なぜなら芸術は、悲鳴をあげる深層をごまかしては成立しないからだ。惨たらしい時代の裏側で、ひそかにヒトの心にしみこんでいた夢の自然風景。それは、強引な意識または無意識の狂気に対する、心の奥からの抵抗、警告だっただろう。もう兵隊はススメないのだった。

白い鷺をコサギ、チュウサギ、ダイサギと名づけたのはよくなかった。昆虫を〈○○もどき〉と呼ぶのと似た、あるいは番号で呼ばれる囚人のようなものだろう。灰青の共通性をもっていながら違う佇まいを醸し出しているゴイサギ、アオサギ。三種類の白い鷺もまた、次の時代には別の呼び名がほしい。いや、ヒトがひとりひとり違う個人として呼ばれるように、鷺もまた、一羽一羽の名前で呼ぶべきか。

夢を深めるということは、物語を知ることだ。気づかなかったが深く存在するものを多面的につなげることだ。森の中で木洩れ日に立ち止まるとき、それは単なる日光や木々の影や葉の茂みや土や風ではないだろう。動いているそれぞれが、ある時刻にその場所で、奇跡的に組み合わさってできるもの、その運命的な可能性を目撃者の星座とするなら、星座と星座の大銀河は、アスファルトで覆われたぼくたちの世界そのものの補償として、新しい森の出現を促しはしないだろうか。しかしそれは巨大で壮大な物語というよりは、ひとりひとりの疎外された生の全体を過去にさかのぼって発見しつなぐものであるだろう。森は木からできているし、木は枝や葉や花や実からできていて、その根っこがつながっている。



鈴切 幸子 


白と黒



坂の途中に小さな公園
水仙が楚々と咲いている
雨上がりの朝
野菜を包んでくれた古新聞を
濡れているベンチに敷いて腰掛ける
朝市で買ってきた大根の瑞々しさ

水仙香る静謐なひととき
献立を考えていると
 「おはようございます」
明るい声
新聞配達の少年が
ハミングしながら坂道を下っていく


 「よっこらしよ」
声に出して腰を上げ
少し湿った新聞を手に取れば
  塗りつぶす教科書黒く風たちぬ*
          丹羽清吾(80)

遠い教室のざわめきが
不意に記憶の底から立ち上がり
もうすぐ
戦争を知らない世代だけになる

黒い風が吹いてきた

*東京新聞「平和の俳句」より




内田 武司

あの夏の日に



老いた夫婦が歩いている
互いがつっかえ棒になって
ゆっくりと

国会議事堂正門前の
信号を渡ろうとして
若い警官に遮られた
遠回りの坂道を行くようにと

避けようのない炎天下の坂道を
さらにゆっくりと歩いていく
歩きながら思い出す
遠い夏の日を

留置場から出てきた夫は
傷ついて痩せていた
何の罪かわからず
非国民と引っ張られ
むやみと殴られ
いつまでも囚われていた

かん高い聞き取りにくい声が
ラジオから流れた日
夫は眩しそうにして出てきた
夏が嬉しかった

また
あの夏の日の青い空の下を
支え合えながら歩いている
ゆっくりと
ゆっくりと



上手 宰


詩人の声が裏返る



戦後まもない日本に 
特別急行列車「平和」が幾度か走ったと
甲田四郎さんが詩に書き 朗読した*
それらが短命だったのはなぜだったのか
東京大阪間は三か月、東京長崎間は二年足らず
大阪広島間は八か月 以後は行方不明

人を笑わせるのが得意な高い声が
「平和」の箇所できまって裏返り 涙声になる
「へいわ」という言葉は 口から出てゆく時
大のおとなを泣かせるのだった
いや そうではない 大きななりはしているが
本当は少年が泣いているのだ

戦争を暮らしたことのない私は年老いて
それを知る少し上の爺様と同じ世を生きている
知っていることと知らないことは
こんなにも近く こんなにも遠い
わたしには
見知らぬ者からの贈り物のような平和だった
自分の物として使ってよかったのだろうか
そろそろ返してもらおうか、と近づく影がある
戦争は幼年時代から身につけるべきもの
おまえは役に立たないから さあ赤児をここへ

いつの時代もそうだった
戦争に反対して詩人たちが集まって
いったい何ができただろう
言葉にわずかな命を吹き込むこと以外に
裏返った声の「へいわ」が会場に響くと
遠く木漏れ日の中を列車が走っていく
幻ではない 名前は消えても私たちが乗っている

 *この朗読を聴いたのは二〇一四年一〇月四日「九条の会・詩人の輪」。



高田 真


帰還
 


父が戦争から帰還した
南方の戦地で料理兵だったという
もともと傘職人で手先が器用
実家が田舎の小さな商人宿でもあり
傘屋を営むかたわら 父は
腕のいい板前でもあった

徴兵検査の前日
祖母が言った
醤油ば
一升飲んで
この二月の寒夜を
走り回れ
風邪をひいて高熱が出て
結核のような症状になると言うばい
それで隣の洋ちゃんは
徴兵を免れたと

六人の子らを抱えた母と祖母の所帯
どうしても父を戦争に行かせる訳にはいかない

そして 父は走った
走りに走ったが
頑丈な身体はびくともしない
家族の祈りむなしく甲種合格となる

調理師の免状でも持っていたのだろう
戦闘の激しい前線に出ることはなかったようだ
だから 死なずに帰ってくることができた

帰ってきてすぐにマラリアを発症し
高熱が出てがたがた震え生死の境を彷徨う
それにしても頑丈な父の身体は病魔を克服し
幸運にもこの世に繋ぎ止められた

戦後に三人の子を母は産んだ 衰弱はげしく
最後のひとりは だめかもと産婆に言われたが
母が一心に守った そのひとりがわたしだ

父がもし先の戦争から帰って来なかったら――
いつもこの問いからわたしがはじまる



勝嶋 啓太

件(くだん) 
 


海の向こうのアメリカで
女性蔑視や人種差別発言を繰り返す成金馬鹿が
何かの悪い冗談みたいに大統領になってしまった日のこと
妖怪マニアの友人が
くだん という妖怪を知っているか? と聞いてきた
くだん って 「件」と書いて「くだん」と読む奴だろ
字の通り半分人間半分牛の妖怪 と答えると
そうだ 人間の顔した牛だ
戦争や大きな災害など 悪い事が起こる直前に生まれ
人にそのことを予言して 翌日死んでしまうんだ
例えば 太平洋戦争が起こる直前などは
あちこちで頻繁に生まれたらしい
東日本大震災の直前にも 福島県の某所で密かに生まれ
大震災と原発事故を予言して死んだというウワサがある
と 妖怪マニアの友人は いつになく真面目な顔をして言い
実は 数日前 九段下で くだん が生まれたらしい
信頼できるスジからの情報だ となぜかヒソヒソ声で言う
きっと 悪い事が起きる前兆だぜ
まあ それはそれとして
ビデオ屋でバイトしてるような奴に
情報流す〈信頼できるスジ〉って どんなスジだよ?
つうか 九段下で くだん が生まれた って
どう考えても単なるダジャレじゃん などと思っていると
のっそりのっそり と 
くだん っぽい牛が通ったので マジか! とビックリして
あのー あなた もしかして 「くだん」さん ですか?
と聞くと そうだけど と答えたので
これから何か悪い事でも起きるのでしょうか?
それ やっぱり アメリカ大統領絡みですか? と聞くと
くだん は 教えない と言う―― え?なんで??
だって お前らに教えちゃったら 俺 死んじゃうじゃん
今まで 俺たち くだん は 人間たちを助けようと
さんざん忠告してやったのに
結局 戦争はやっちまうし 地震にも備えないし
で いつも事が起こって
たくさん犠牲者が出て 泣いている
そんなバカな奴らのために命をかけるなんて
いい加減アホらしいから もう予言はしないことにした
くだん は そう言うと
また のっそりのっそり と歩き始めたが
五、六歩進んだところで 振り返り
でも お前らが心配している事は 必ず起こるよ
と言い遺して 雑踏の中に 消えていった



第二〇回〝輝け九条詩人のつどい″を開催


第二〇回の〝輝け九条詩人のつどい〟が,去る七月七日「七夕に平和をうたう」と銘打ち、江戸川区の〝タワーホール船堀〟で開かれた。二〇〇四年十月三日〈九条の会・詩人の輪〉の発足以来十四年近く「詩人の輪」運動に関わって来た者として感慨一しおであった。会場のある都営新宿線船堀駅は今まで一度も下車したことのない駅であったが、土曜日の正午近くながら道行く人も少なく閑静な好ましい雰囲気の街と思われた。
 私はつどいの要員として十一時過ぎに到着し、ホール前の喫茶室で昼食を済ませて準備が進む会場に入ると、既に事務局長の洲さんや柳生さん、湯浅さんが資料の準備を進め、世話人代表の中原道夫氏や鈴木太郎氏らが忙しく立ち働いていた。午後一時からの受付開始に備えて、私はつどい資料に目を通しつつ、次々に到着する久し振りにお会いする方達とご挨拶を交わしていると、あっという間に開演時間が来てしまった。
 司会進行役の鈴木太郎氏が開会の挨拶を述べ、中原氏の先導で海老名香葉子さんが入場しマイクの前に立つと、早速「残された一つのいのち」と題するお話を始めた。
 爆笑王と言われた故・林家三平さんの妻で、夫が早世した後、一番弟子のこん平を先頭に一門の若い弟子たちをまとめ、長男の林家正蔵、次男の二代目三平などの人気者を育て上げた。
 八五歳の今も東京大空襲で戦災孤児となった頃に〝カヨちゃん〟と可愛がられたままの人柄を彷彿とさせる素朴さと芯の強さの伝わるお話しぶりであった。噺家の先代三遊亭金馬師匠に引取られ育つなど、良い人々に支えられたが、「戦争はしてはならない」「九条は守る」信念は固く、上野寛永寺の住職から敷地の提供を受けて上野の山に『哀しみの東京大空襲』、『時忘れじの塔』を千二百人の賛同者を得て建立し、三月九日を供養の日として定着させた。昨年は千五百人が参加したと言う。
 東京大空襲で家族全員を失った香葉子さんの家は八代続く釣り竿店だったが、沼津に住む伯父の家に家族と別れて一人で疎開していてたった一人残ったのだった。
 講演の後は休憩をはさみ、世話人代表の中原道夫氏が挨拶の中で、故・城山三郎氏が「戦争で得たものは九条だけだ」と言っていた事を紹介。続いて事務局の梅津弘子さんが会の財
政報告とカンパの訴えをされた。次いで地元の劇団フーダニット所属の松阪晴恵さんの「日本国憲法前文」朗読を挿み、参加された詩人たちが2グループに分かれ、自作詩の朗読を行った。
 朗読者は佐相憲一、林田悠来、鈴切幸子、北村朱美、内田武司(1G)。
 上手宰、高田真、勝嶋啓太、中原道夫、柴田三吉(2G)。
 最後に出席した呼びかけ人を代表して佐相憲一氏が挨拶、同じく葵生川玲氏が挨拶。鈴木太郎氏が出席した世話人(荒波剛・鈴木太郎)と事務局メンバー(洲史、梅津弘子、床嶋まち子、ゆあさ京子)を紹介した。洲事務局長から130人超の参加者で成功した報告と感謝の言葉があり、懇親会の案内で散会した。

                                       (報告者・荒波 剛)


中原道夫



     ーテレジンの少女の絵より


名前を奪われ 髪の毛もすべて削がれ 囚人服に身を包んだ私は 母ではなく 女ではなく 人間ではなく ただアウシュヴイッツのガス室に運ぱれていく〈番号〉に過ぎなかった だから 娘への切ない思いも 自分の奥歯で噛み砕き 噛み殺し ただ死に向かって歩いていくだけだった

行かないで!
 行かないで!
  行かないで!

娘が走ってくる 娘が走ってくる そして私の手を掴む けれどその掴んだ手を 強く振りほどいたのはナチスの兵士ではない かつて母と呼ばれていた私の手であった なんと非情な私の手であったのだろう

お母さん!
 お母さん!
  お母さん!

黒い貨車のドアーが 火葬場の重たいドアーのように ギイツと閉ざされると そこは暗黒の世界 牛八頭を運ぶという貨車に 詰め込まれた囚人は百人を超えている ただユダヤ人であるというだけで


貨車は一昼夜に亘って走る 排便や排尿のためのバケツがただ一個置かれてあるが もちろん死んでいく囚人に食べ物などがあるはずはない 蹲ったまま息を引き取るものもいるが だれも動揺することもない 死は日常で囚人につけられた〈番号〉がただ一つ消えていくというだけで だれが消えていっても関係ない ここには いっさい光も時間もないのだ

突然貨車が激しく揺れた どうやら貨車はチェコの国境を越え ポーランドに入ったらしい その時である 突然外界から 切れ切れに私を呼ぶ声が聞こえてくる

お母さん、行かないで!
お母さん、行かないで!
お母さん、行かないで!



あれは正しく人間の世界で 娘が最後まで私に向かって叫んでいる声だ 私はその娘の手を自分の手で振りほどいてきたのだ

一瞬 私は〈番号〉から〈私〉に戻る 〈母親〉に戻る 「お母さん、行かないで! お母さん、行かないで!」消えることのない娘の声 眼を閉じると 瞼の奥深くに浮かんでくる娘の顔 私は思わず「ラーヤ、生きて生きて生きるのよ」と姿を見せることのない神に手を合わせた




註一 髪を振り乱し、死に向かう母を必死に迫いかける絵を描いた少女ラーヤさんは、現在ご高齢ではあるが、プラハでご存命中と聞いています。

註二 画は、展示室では写真を撮ることができないのでスケッチしてきたもの。ほぼ原作に近いものです。



柴田三吉


約束の木 ――日本国憲法へ


不戦の誓いは
死者とかわした永遠(とわ)の約束

時をこえて広がる根は
すべての心臓につながり
いまも悲嘆の鼓動を伝えている

さびることのない血によって
幹は年輪をかさね
かがよう葉を繁らせてきた

(暗がりで斧を砥ぐ者がいたとしても
斧は 振り上げる手を
こばむだろう)


あやまちを種子にした果実は
ひとがひとへ手渡す
唯一のあかり

けれど わたしたちはまだ
手放しで誇れない

誇りは 死者と
生まれくる子どもたちとの
約束を果たしたとき

木は 荒波よせる水辺を
芳しい腕で抱きしめる

わたしたちは
その指のひとつだ

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