詩人の輪通信 第48号より
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通信 第49号より
詩人の輪通信 第48号より 2018年5月3日発行
詩人の通信より、詩作品・エッセー等を中心に紹介します。
 
中原 道夫


軍靴の響き繰り返すな
    ―「森友」の陰にあるもの

               


 安保法制、改憲、道徳教育、森友問題、そして、隠蔽されていた「日報」と、連綿と続く政府の政策の流れをみていると、戦時を知る私の耳に聴こえてくるのは、かつての進軍ラッパと軍靴の響きである。それは、これらすべてが戦争への道に繋がっているからである。

 「森友問題」の文書改ざんの根源も、幼稚園児に、「国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ盛運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語を暗唱させている籠池氏に対し、「たいへんりっぱな教育に感動しました」と賛辞をよせている安倍昭恵首相夫人の姿勢にある。だから、その教育を推し進める小学校の名誉校長になり、「いい土地ですから、前に進めてください」と籠池氏に言っているのだ。

 先日、イスラエルの平和運動家のダニー・ネフセタイ氏から聞いたことだが、イスラエルでは十八歳になると、男性三年、女性二年の兵役があり、生まれた時から国のために命をかけて尽くす教育が徹底しているとのことである。まったくかつての日本と同じなのだ。いまだにパレスチナの侵攻をやめないのは、国民がそのように教育されているからだという。自由であるべき人間の思考を、ひとつに束ねようとする道徳教育の導入も、ほんとうに恐ろしいものである。

 そういえば、前川喜平・前文部科学事務次官が名古屋市立中学校で講演したことについて、文科省が干渉したことも、表現の自由を犯すものである。前川氏に不審を抱くなら、憲法に違反する「教育勅語」をいま以って「たいへん立派な教育」と言った安倍昭恵首相夫人を糾弾すべきであろう。先日他界されたアニメ作家の高畑勲氏は、「戦争によって平和をつくるのではなく、いまの平和を守っていくことが大切だ」と言っている。しかも、これからの戦争は銃剣で争うようなものではない。勝っても負けてもお互いの国の存続さえあやしくなるものである。私たちは「森友学園」の文書改ざんの底に流れる進軍ラッパと軍靴の響きを、けして聞き漏らしてはならない。


田中 眞由美

躍り出た言葉


だって突然に飛び出してしまったんだもの

不用意に躍り出た言葉が歩き始めたのを
もう止めることはできない
だから身を守るために
川の流れも山の高さも変えた
何日かたつうちには
躍り出た言葉は
いかにも本物らしい貌をして
居座っている

隣の人も
その隣の人も
言葉が躍り出る現象が
連鎖しはじめる

勝手に踊り出た言葉だから
知らぬふりをしてる
言葉にまとわりついて
うるさい蝿も飛び回っているが
力を試すのは今だもの
ちょっと微笑んでみよう

躍り出た言葉に戻る気はない
住み心地の良い落ち着き先を探している

だって突然に飛び出してしまったんだもの

初出 交野が原83号


浅尾 忠男


美しい日本の憲法をつくろう
 *総理のうたえる


美しい日本の憲法をつくろう
 わが自由民主党の党是
 祖父岸信介の遺志をつぎ
 憲法改正を実現するために

美しい日本の憲法をつくろう
 わが国では憲法違反の軍隊といわれ
 他国からはたたかう軍隊とよばれる
 不名誉を挽回するために

美しい日本の憲法をつくろう
 戦争放棄の9条1項と
 戦力不保持の2項には手をつけず
 その3項に〈自衛隊〉を書きこむために

美しい日本の憲法をつくろう
 個別的自衛権の行使から
 集団的自衛権の行使まで
 戦争する国の姿をあらわにするために

美しい日本の憲法をつくろう
 総裁三選をかちぬき
 総理・総裁の任期延長のなか
 2020年を改憲の年(とし)とするために

美しい日本の憲法をつくろう
 東京オリンピックの歓喜と
 改憲実現の勝利をかさね
 あらしい国づくりの出発とするために
わが生涯の最後のたたかいとして

初出「詩人会議」2017・9月号



稲木 信夫


やっと叫びが

   一九四五年七月一九日深夜、福井市空襲


五歳にも満たないおさな児に
五年の一人っ子の月日の流れがあったとして

父母にも五年
父母の日々の影に何かを見て
笑いと涙
父と母に おまえも
切れ目のない心を見せたのか

うら うら うら
やっとおまえは在りかを声にして
とうちやん
かあちやん
やっとの声となり

振り切ったのではない
振り捨てた瞬間を振りかえり
いっせいに屋根瓦を滑る焼夷弾の音となって
空襲の音を聞いたおまえの叫びが

敵機編隊の
呑み込んだすべての叫び
弾頭の
炎のはじける軒並みを走るおまえの恐怖を
母が見た 父が見た
にげやあ
逃げやあ
それで振り切ったのではない
それでも
逃げられなかった

深夜いっぱい
アメリカ爆撃機編隊を背に
逃げ場のないおまえがはじける時に
炎がはじける道筋を逃げる

聞いたか 聞いたか
逃げやあ 父の
にげやあ 母の


その父と母を
振り切ったのではない
そのおまえに言葉がなかった
逃げられなかった
群れをなし
そこで
小さな町を見下ろして泣いたか

濠のきわで
燃え立つ並木の間から
両腕をさしだし 子は
泣き声を忘れた
子も父も母も
火の人になった

いいや
人は子を
振り切らなかった
何もなかった火の中で
泣く子の叫びも
泣く親の叫びも聴かなかった
誰も互いに避けはしないままに

               

杉谷 昭人


 時代のうねりのなかで

            
 半月まえの四月十四日は、大変な一日であった。東京では、〈4・14国会前大行動〉と称して、森友・加計疑惑の真相解明、内閣総辞職を求める国会前五万人集会が計画されているという。それに呼応して全国三十県ちかくで同様の集会があるそうだが、かく言う私も、じつはその流れのなかで生まれた市民連合みやざきの代表世話人のひとりなのだ。こちらのデモは、午後一時半からだった。

 それ以前、朝の七時半から正午までは、火・木・土曜日の人工透析が待っている。私事ではあるが、死ぬわけにもいかない。それに夕方六時からは、百キロほど離れた延岡市という街で
70年安保の時代に世話を焼かせた卒業生らの還暦同窓会もある。あの頃は、考える高校生らがたくさんいた。

 「9条の会」が生まれ、さらに〈「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪〉の活動が目に見えるようになるにつれ、たしかに詩についての常識は変化した。
書き手と読み手の距離もかな近くなったように見える。しかしそれは、果たして詩人が書き上手に、読者は読み巧者になったと言えることだろうか。

 この〈詩人の輪〉が生まれるよりずっと以前のことだが、茨木のり子さんが五十歳を過ぎて朝鮮語を学び始められたというエピソードは、よく知られている。その辺りの事情については彼女の書いたものがあるので省くとして、彼女から私への手紙には、ストレートに私(杉谷)が朝鮮生まれということなので、朝鮮語についての古本を教えてほしいという旨が綴られていた。しかい悲しいかな、私の朝鮮語は十二歳くらいまでのものである。半年もたたないうちに然るべき先生を紹介する羽目になったが、それぞれ得難い体験となった。

 時代は、日本と韓国の関係が、戦時中の徴用工、慰安婦等をめぐって大揺れに揺れていた。そのなかで本質論議、理解にはまず言語をという茨城産の態度には、現代の詩人はもっと敏感にならねば―最近とくにそう言うことを考える。ひとり詩に限らす現代の表現における彩揺るジャンルの創作者に対する接近は、市民の焦燥の表出かもしれないとマジで思ったりする。

 60年安保のとき、私は二十五歳、宮崎年のある山村の中学校に勤めていた。そんな所にも半年以上。「安保反対」の言葉は吹き荒れた。しかしその時期が過ぎれば、街はまた以前のような静寂にもどった。町はなみの変わらなかった。私の言葉に、力がなかったのだ。 私は、それまでの詩を全て捨てた。この頑固の山村を一生のモチーフにしようと思った。書きつづけるというのそう言うことだったのだ。


梅津 弘子


現実


丹沢の山裾の駅を降りると 
改憲派の議員の大きなポスターが並ぶ
足早に通り過ぎ 多喜二祭の会場へ
溢れんばかりの人の群れ
多喜二のデスマスクに涙する人
展示の死体の写真に唇をかむ人
こんな時代に戻しちゃならない
老人が叫ぶ
頷く顔顔顔

共謀罪が国会で論議され始めた
数で押されるわよ 友の言葉も
我慢できなく 国会前の集団へ
やっぱり 人数がすくないなぁ
みんな 諦めているのかな

どす黒い雲が 今覆う

詩人 作家 漫画家 写真家らが集い
内心の自由を奪うな と訴える
横で聞いていた友は
「あなたの詩も書けなくなるんだ
 そんな時代にしゃいけないわ
私にも降りかかってくるんだ
 スマホやパソコン 目くばせで」

幼稚園で 君が代を歌わせ
道徳の授業で 愛国心を強制し
銃剣道で 人を刺し殺す体育の授業

オリンピックを隠れみのにし
北朝鮮のミサイルを錦の旗印に
国民の口を塞ぎ
戦争をする国にまっしぐら

へこたれず
市民と野党
踏ん張り処 
 
        (二〇一七年六月 いのちの籠 第三六号)

坂本梧朗


テレビではわからない


どのチャンネルを回しても
ニュース番組は同じ事件だ
申し合せたように
同じ事件を取り上げて
根掘り葉掘り
くり返し巻き返し
数日にわたって
流すこともある
知りたくもないことを
腹いっぱい詰め込まれ
反吐が出そうだ

こんな事が起きていたのか
あの真相はこんな事だったのか
これはもっと早く知っておきたかった
という事実は
闇に葬られたままで

政治的な話題を取り上げる番組には
首相と何度も会食するような
太鼓ジヤーナリストが
政府のお目付け役然と
必ず出席していて
政権ヨイショの発言をして
問題の本質を晦ましてしまう

公共放送を看板に掲げる放送局は
政府のコメントだけは
落度のないよう
丁寧に伝える

テレビでは
わからない
世の中の
ホントは


坂田 トヨ子


詩人の輪に市民の輪を繋げて


                       
 十月二日、東京板橋で九条の会詩人の輪の集会が開催されるというので、思い切って出かけた。その会に参加するためだけの上京で、日帰りは難しいと思ったので、ホテルを探していたら、詩の仲間が家に泊めてくれるというので、有り難く甘えることにした。
 詩人の輪の集会には、大阪には二度参加していたが、東京では参加したことが無かった。前回の横浜集会も参加したかったが、確か母の具合が良くなくて、諦めていた。初めてお目にかかる詩人も多く、詩の朗読を楽しみにしていた。

 詩人の朗読も期待以上に素晴らしかった。文字で読む詩がご本人の朗読を聴くことで、大きく膨らみ、奥行きも深く感じられる朗読ばかりだった。

 堀場清子氏の講演も、「戦後沖縄・歴史認識アピール」のことも、広島の原爆投下後の報道規制のことも、資料も情報も盛りだくさんで、共感と感動を覚えながら聴き入った。
こんなに素晴らしい会の参加者が八十名というのが、とてもとても残念で、もっと多くの詩人や市民に聴いてもらいたいと思った。日頃から、詩が多くの人々に読まれていない現状を残念に思い、何とか詩をできるだけ多くの人たちに届けたいと思っている私にとっては、何とも勿体ない機会だと思われた。

 こんなに素晴らしい講演や朗読を聴けば、これまで詩に関心を持たなかった人たちもきっと関心を持ってくれるようになるだろうにと。「詩人の集い」を詩人だけのものにしないで、読者になってくれるはずの一般の市民にも参加してもらうようにできないものだろうか。今回の参加者が、詩を書かない人がどのくらいだったのか分からないが、きっとこのような集いに参加すれば、詩人も一般の市民も互いに励まされるに違いない。

 福岡集会の二回は、詩人以外の人の参加が多かった。あらゆる伝手を使って、あるいは、電話で直接に参加を呼びかけた。それで、第一回百名余り、第二回九十名の集いができたのだが、その頃、一緒にやっていた詩人たちも、病気や高齢のためほとんど動けなくなった人も多く、亡くなった詩人も。東京もそうなのかも知れないが、東京で八十名は正直言って寂しいと思った。何とかもっと一般の人たちが参加するようにはできないものだろうか。

 福岡から高い交通費を使って参加するより、その分をカンパした方が会のためになるのかもと思いながらも、参加して良かったと思った。同志の詩人の朗読を聴き、語り会えるのは、やはり、何より嬉しい。
 実行委員や世話役の皆さんのご苦労には、感謝以外にないが、この会を継続し、発展させるためにはどうすれば良いのか自分の問題として考えていきたいと思う。


 昨年の集会に参加しての感想を書いていたが、出す機会を無くしてそのままになっていた。また、7月7日に詩人の輪の集いが開かれるという。参加したいのは山々だが、今回はどうしても難しい。昨年参加されなかった会員の皆様に、参加と周囲への声かけをお願いしたくて、この稿を掲載して頂こうと思った。

 私も、東京周辺の友人に参加を勧めていこうと思う。集いが盛会になることは、参加者だけで無く多くの人を力づける。実行委員の皆様、大変だと思いますが、どうぞ、よろしくお願いします。
■報告■

安部9条改憲NO!  3000万署名達成へ  「九条の会集会」から


 4月7日、東京・北区の北とぴあ・さくらホールで開催された「九条の会集会」に参加した。会場には全国から1000人が参加、熱気に充ちた集会となった。

 女性2人組のMilK(弥勒)の音楽でスタート。事務局長の小森陽一さんの報告、自民党の改憲草案で「必要な自衛の措置をとることを妨げず」としていることについて「無制限の集団的自衛権を認め、自衛隊の存在が9条2項、戦力不保持の規制の及ばない例外規定になる」と、その危険性を指摘。よびかけ人で作家の澤地久枝さんは「防衛大臣が繰り返し失敗を認めているのに、辞めもしない、日本の政治はもうボロボロ。5兆円も使う自衛隊になっている。安部政権はもうすでに退陣しなければならない時点にきている」と訴えた。

 世話人からは、愛敬浩二(名古屋大学教授)、浅倉むつ子(早稲田大学教授)、池内了(名古屋大学教授)、池田香代子(ドイツ文学翻訳家)、伊藤千尋(元朝日新聞記者)、清水雅彦(日本体育大学教授)、山内敏広(一橋大学名誉教授)の7人が登壇、短時間の中でそれぞれの思いがこめられたメッセージで示唆にとむでものであった。なかでも愛敬浩二さんの話は教訓的だった。「衆議院選挙には700億円かかる。地方都市の1年間の予算と同じ額だ。国民投票にも同じくらいかかる。そんなことまでして、憲法を変える必要があるのか」ということだった。

各地の九条の会からは9団体の活動が報告された。①東京・日の出九条の会➁九条の会ネットワーク北海道➂さいたま市緑区九条の会④山梨・北杜九条の会⑤九条を守る首長の会⑥神奈川・厚木市九条の会⑦愛知宗教者九条の会⑧沖縄・八重山九条⑨東京・練馬九条の会である。

 それぞれに、3000万署名すすめる貴重な体験を報告された。なかでも、⑤鹿野文永さん(82歳)の報告に勇気を得た。町長を30年も務めた宮城県の旧鹿野台町では目標の3000人分の署名を達成したこと、そして、東北6県のすべてに首長の会が結成するために、多くの首長に会って努力された結果すべての県で結成されたのだ。⑦の石川勇吉さん(69)は真宗大谷派の僧侶。改憲反対の決議がされた宗門で署名がひろがっており、信者や檀家をまわると、ほとんどに人がしてくれると報告。

 九条の会では、3000万署名は4月25日に集約、5月3日の憲法集会で発表することも確認されました。
 国会をとりまく情勢は急速に変化している。世論調査でも内閣支持率は低下している。しかし、九条改憲への執念だけは強く持っているのが安部政権である。3000万署名の達成で、9条改憲の国会発議を許さない大きな世論をつくりたい。この集会の熱気を糧にしたいと思った次第である。
(鈴木太郎=詩人の輪世話人)


芝 憲子

名前 そして  


                 
名前の元になってくれてありがとう
憲法さん
あなたが生まれた一九四六年一一月三日
日本中の期待を背負い
憲法発布 と大歓迎された
そして早くも 
二日後生まれた虚弱体質の赤子の
名付け親のようになった 
郷里の自民党議員の応援などしたわたしの父
母は「純子」とかんがえたらしいが
父が「憲子」にしたという

まわりの同年生には
同じような子が何人も
憲一 憲治 憲太郎
憲法を事細かにおそわった
条文を一字一句覚える宿題も苦でなかった
憲法九条があるから
それに国際連合もできたから
もう戦争は二度と起こらない と

憲法と共に というほどかっこよくはなく
だらだらと生きてきたが
二五才できた沖縄
祖国復帰 は日本国憲法のもとに帰ることだった
青い憲法手帳を皆がもっていた そして
本土出身の知り合いはたいてい
また本土にもどっていったが
憲法違反だらけの沖縄に
ずっといることだけはきめた そして
毎週「世界の宝 憲法九条をまもろう」と
十人とちいさな声をあげ
こうして詩に書いたので
もう一度自分に刻むペン型彫刻刀

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