通信 1~20号より
通信 21~40号より
通信 41~47号より
通信 第48号より
詩人の輪通信 第51号より 2019年10月1日発行



佐川 亜紀





痛む光


夜のビルは眠らない
ヒョウより飢えた無数の目が
都会のジャングルで命をむさぼる
ライトにとりつかれた人々
きらびやかな光が好きで
そのために若い命を涸らしても
次々に誘いとだましの目を向ける
私もするっとずるずるした尾につらなる
すわ一大事とずるいアラームに操られる

このイルミネーションは
あの光の爆発と関係ないのか
この終電車で眠り込む茶髪の頭
あの焼けた真っ黒の頭部
このスマホを見続ける柔らかい頬
あの皮がむかれた桃の顔
一瞬で光の渦に呑み込まれた二つの街
えぐられた腹のまま
化学反応実験として記録された人々
記録もされなかった人々
朝鮮・中国の被爆者
朝鮮人被爆者は
広島で五万人 うち二万人死亡
長崎で二万人 うち一万人死亡と言われる
帰国しても日本に癒されない傷はさらに痛んだ
不気味な光の持ち合いで
ますます闇に押し込まれる傷ついた人々

闇の底の声を地に耳をつけて聞く
地に刻まれた爆音と叫び声
深海の魚たちもうめきだす
明日の自分のうめき
闇の中を通って光が命の形になる




甲田 四郎




平和


私の少年時代平和があった
日本の敗戦から四年後の一九四九年
私は新制中学二年生
国鉄の第一次人員整理三万七千人があり
七月下山国鉄総裁の轢死体が発見され
深夜三鷹駅で無人電車が民家に暴走し
八月松川で貨物列車が転覆し運転士と助手が死んだ
じつにその九月、へいわが走りだしたのだ
戦後復活した最初の特別急行列車
庶民の夢子供のあこがれそれはへいわと名づけられた
編成は三等荷物合造車・三等車三両・二等
車四両・食堂車・一等展望車
展望車には鳩の上にへいわと書いた丸型テールマーク
その上で女優の木暮実千代が手を振って発車した!
東京大阪間を一往復所要時間九時間
戦前の特別急行列車より一時間遅かった
浜松までは前後にデッキのある茶色のEF58電気機関車が
その後は日本最大の蒸気機関車C62が引っぱった
でもへいわの寿命は三カ月しかなかった
五〇年一月にはつばめになって
六月朝鮮戦争が勃発
七月マスコミでレッドパージ
八月警察予備隊令が公布となった
それでへいわは消えたと思われていたのだが
七年後、東海道線が全線電化になった翌年
五十七年七月にできた東京博多間臨時特急
さちかぜが
十月に忽然と東京長崎間 おおナガサキの
特急平和となって走り出したのだ
私が大学三年のときだ 
その寿命は二年足らず持って
五十九年七月にさくらとなった
それが第二次平和だ
第二次というからには第三次があったので
第三次へいわは大阪広島間 おおヒロシマの
ボンネット型ディーゼル特急
六一年十月一日白紙改正によって出現した
この寿命はたぶん六二年六月までの八カ月
このとき東京広島間が電化され
大阪広島間に電車特急宮島が二往復現れて
消えてしまった
それから後は平和は行方不明
六四年十月東京新大阪間に新幹線が開通
八七年四月国鉄分割民営化
JR六社となって十九年経った今に至るも行方不明
鉄道員の誰が平和を好きだったとか
誰が嫌いだったとか言うつもりはない
ただ、列車の名前を平和とつける
駅ごとにスピーカーで平和 平和 平和と言う
それほどに平和を愛した時代が、かつてあったのだ
短かった私の少年時代! 青春時代!
でもそれから何十年
私にとつぜんふたたびの青春時代がやってきた
口づてに平和と言う 口づてに平和と聞く
まいにち言うまいにち聞く
平和をつくる
青春時代でなくて何だろう!


藤川 恵美子




赤児よ

頬ずりした赤児は
空の彼方からやってきた宇宙人

むちむちした手で 空をつかむ
何億光年先の故郷を深ぐっているのか

赤児はときどきけたたましい声を発して
宇宙語を話す
地球人間の私には皆目分かりません

赤児は果実のような口元からよだれを流す
この地上の食べものをくれと云う

見つめる瞳は夜空の星
赤児は 星空の彼方からやってきた宇宙人

この地へやってきた宇宙人よ
その瞳で地球を見つめ
その手で私と握手して下さい
さあ この地でこれから生きていくのです



青木 みつお




改元ですか


万葉集は 大伴家持が編んだといわれる
海ゆかばみづくかばね
山ゆかば草むすかばね
大君の辺にこそ死なめ
このようにうたわされ兵は死んでいった
天照大神は天皇家の先祖だという
伊勢の皇大神宮におられる
神武天皇は初代の天皇だという
縄文時代にあたるらしい
尋常小学校修身書巻六 国民の務(其の一)
男子は皆兵役の義務を教え込まれた
これに先だつ 「教育ニ関スル勅語」は
明治二十三年 天皇の名で発せられた

「国の安寧と国民の幸せを願われ
御公務を心を込めてお務めになり
深く敬愛と感謝の念をいま一度新たにする
次第であります」
平成天皇退位の日
首相は「国民代表の辞」を述べた

日本国憲法では国民の総意としての象徴
これを認めている
「国民代表の辞」は
戦争の放棄に触れていない
そのかわりに
テレビは朝から夜まで天皇の大合唱
ファミリー・ヒストリーのあれこれが
麗しく報じられた

平成天皇が戦跡を巡って歩いたのは
前の時代の戦争と責任を思ってだろう
憲法九条がそのことを証している
天照がいいました
そろそろ楽をさせてよ


赤塚 智津



「教育を受ける権利」


どうして貧困はなくならないの
僕がこの国の王様だったら
簡単なことさ
物を沢山持っている人が
足りていない人に分けてあげる決まりを作ればいい
小賢しい大人は「法の下に平等」と言うけれど
どうやらこの国の大人は
みんなで仲良く物を分け合うことを
真面目に考えてなんかいない
この国で生きるということは
この国の法律に合わせるということ
「日本国憲法」には
この国で生きるために
働きなさい
難しく言えば
「就労の義務」を果たすこと
それと
勉強しなさい
難しく言えば
「教育を受ける権利」を行使すること
「教育を受けさせる義務」を果たすことが
法律で定められている
だから学校に通う
「義務教育」は個人の自由意志によって
「教育を受ける権利」を拒否することもできる
でも「不登校」のまま子ども時代を過ごしてしまうと
この国で自立して生きていくことは難しい
学校へ通う習慣のなかった子どもが親になったとき
その子どもも学校へ通う習慣が身につきにくくなって
貧困につながっていく
だからこの国で生きるためには
教育を受けることは大切だ
教育はビジネスではない
けれど「義務教育」が終わるとき
「進学」にはお金がかかる
この国で生きるために
「教育を受ける権利が」ある
それなら
だれもが個人の自由意志によって
「進学」できる教育に
変えてもらえませんか


のざき つねお





風の光景


総勢10名 憲法記念日のスタンディングアピール
9条の会の思いを染めぬいた 思いきりカラフルな
安倍改憲NOののぼり旗が
つよい春の風にパタパタとなびく
マイクをにぎったMさんは生真面目な元教師
自作の原稿を手に力強くよびかける
声が 生きて 風にちぎれてとぶ

日本は73年間 戦争をせず 仕掛けられもせず
ここまで来られたのは この憲法があるから
なぜ今戦闘機を爆買いし戦争する国へとひた走るのか!
なぜ民意を踏みにじって辺野古の海を死滅させるのか!
民主主義を壊してどこに日本の明日があるというのか!
こんな政治 絶対に許せない!
声は風を突いて ゆるぎなく伝わっていく

切れめのない車の流れからクラクションがなる
車の窓から手を振ってくれる女性
なんと知り合いの看護師さんではないか
ありがとう! がんばりますー
思わず 応える声がはずむ
みんなも笑顔でいっぱいに手を振っている
のぼり旗はちぎれんぱかりに勢いよくはためく

みんなの気持ちが風にのってつながっていく



米田 かずみ


私が生まれた日


「もう、僕はこれで帰れないから」
父は特攻で出て行った
母のおなかにいた私は
母の涙を知らなかった

生まれた日
街は焼き尽くされ
母は私を産み
私を抱いて
残骸になった自分の焼け跡を見た
乳も出ず
泣くばかりのわが子を抱きしめた



三月十九日
父はすでに南の空に散って逝ったことを
母は知らなかった

一九四五年八月十四日
それは熊谷空襲のあった日

私は焦土と化した
瓦礫の中で生まれた

翌日
天皇の玉音放送が流れた


中原 道夫




夕焼け


撃墜されたB29の残骸の周りにはたくさんの人が集まった 四キロ離れた隣の街から息急き切って走ってくる者も多かったが それはたんなる野次馬というものではない 毎日毎日空襲警報を発令させる敵の正体を 自分の眼で見届けたかったからだ 折れた翼 砕けた胴体 大きな車輪 粉々に飛び散った風防ガラス ひん曲がった操縦桿 機体はばらばらになり その正体を確実に見ることはできなかったが その正体を ある程度想像できる墜落時にできた 蟻地獄のような穴があった

憲兵はあまり前へ出るなと叫んでいたが その眼は ウスバカゲロウのように乾いていた それに怖けず前へ出て蟻地獄をじっと覗いてぃたのは じかに戦争の実感に触れたいと思う人たちだが 不気味なことに あり地獄の残骸と破片の中から アメリカ兵の毛むくじゃらな白い手がにょきにょきと出ていた 指に嵌めている結婚指輪が 折からの斜陽に涙ぐんで光っているように見えた

その時 一人の女性が 憲兵の眼を避けながら 防空頭巾の中で唇を噛んでいた 先日中国の戦線で 夫が戦死したという訃報を受けたこの女性は きっとアメリカ兵の無残な姿と 亡き夫の姿を重ねているのだろう 訃報と一緒に アメリカ本土に送られるだろう名誉を讃える通知も 夫と同じ けっきょくは命と引き換えの一枚の紙に過ぎないのだから 突然 B29撃墜万歳 天皇陛下万歳と叫ぶ者がいたが その声は連呼とならず 蟻地獄の中に萎んでいった だれもが敵も味方も空しく死んでいくのが戦争なのだと 心の底では思っているのだ

また「空襲警報発令」のサイレンが鳴りだした けれどみんな西の空に眼を向けていた それは 日々繰り返される空襲で すっかり見ることを忘れていた美しい夕焼けだった 蟻地獄も戦争も そして 虚ろな少年の心もいつしか夕焼けの中に吸い込まれていった

註 B29の墜落現場(東村山市秋津一丁目)には、現在アメリカ兵十一名、巻き添えをくった日本人三名の供養のため、篤志家小俣権太郎氏によって、「平和観音」という記念碑が建てられてある。                      合掌 
                           


安野 進




蜘蛛の糸


夕焼けが紅く染まる頃
蜘蛛は風に揺れる糸を
獲物かと思ったのか
その揺れの振動に敏感に反応する
自ら開いた道を自らの足で
おい蜘蛛よ歩いてみろ
おい蜘蛛よ動いてみろ
夕焼けが紅く染まる頃
自らの足で切り開き
生きて行く

おい蜘蛛よいくら待っても
それは風の音だ
おい蜘蛛よそれは
俺の触れる手の振動だ
しかし蜘蛛よ 
お前も生きて行かなければならない
しぱらくの間
そっとしておこう



秋山 泰則




高雄の空


耕一さんは高雄の上空でなくなった
小さな木の箱の中で石になって帰ってきた
おじさんもおばさんも二人の弟も
親戚中の大人も子供も泣いた
葬列の白い幟が風で揚ったとき
「耕ちゃんの襟巻きみたい」 と言う声がした
おじさんは何も書いてない白い幟を竿からはずして丁寧に畳み
シャツのボタンを外して胸にしまった
その間 葬式の列は道端に止まり
提灯行列で興奮したことを
ラジオの臨時ニュースにに沸き立ったことを
新聞やラジオより先にみんなで戦争を喜んでいたことを悔やんだ
あれから何十年か生きておじさんが
次におばさんがなくなった
また何十年かして耕一さんの二人の弟もなくなった
耕一さんがいた頃の家族はみんないなくなった

おじさん達が行けなかった台湾の空へぼくは行った
耕一さんが果てたという高雄の空は大都市の上にあった
横に流れた白い雲 その端で光ったものを見て風防かと思い
旋回する翼かと思った時に
ぼくは心の中に平和がないことを知った
戦争が無いことが平和なのではなく
平和は戦争をさせない人間の心にあることを知った
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